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須恵器古壺とすずらん

庭にすずらんの花が沢山咲いたので、
適当な壺を探して、活けてみました。

このすずらんは何時からか庭の片隅に根付き時を経るうちに
どんどんと増えて行き、現在では数十本にになっています。
よほど居心地が良いのでしょうね。

器は、須恵器と思われる変形の古壺です。

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私がこれを須恵器ではないかと考えるのは、
あまりはっきりした根拠があるわけではありません、が・・・

須恵器小壺
高さ=13cm、胴径=10cm x 7cm

取り敢えず、縄文、弥生ではない。
土師器より硬そう。(口の部分を指で弾くとチンチン音がします。)
燻焼(くすべやき)で焼かれたのではないか?
首の形状が須恵器そのもの。

ただ、少し不安に思うのは、今のところこれと同形の須恵器の写真を
見たことが無いという点です。

本体はオランダのエダムチーズ(赤玉チーズ)の様に太鼓型をしており
表側は2重丸の中に1重丸があり、
何やら意味ありげな文様が彫り込まれています。(叩き目ではないと思います。)

須恵器小壺(裏)

裏側は1重丸以外はこれと言って文様が無く、
如何にもこちらが底の様に見受けられます。

須恵器古壺(横)

ひょっとすると、この写真の様に横向けて使われたのかもしれません。

須恵器小壺(横)

と言うのは、この胴体の厚みが7.0㎝であり口(ラッパ部)の細い側の
中心が4.5㎝:2.5㎝と表側(写真の左側)に寄っている事と、
底と思われる側の肉厚が少し厚くなっていて、
倒しておく方が立てるよりも安定するからです。

勿論、首の細い所に紐をまいて腰のぶら下げたのかもしれません。

用途は分かりませんが、ひょっとすると
油、酒などを入れたのか、種入れに使ったか?
ネズミ除けに木で栓をするか皮で口を覆って紐で細い所を縛って
使ったか?・・・・・想像を膨らませて楽しんでいます。

いずれにしても、現代では立てても寝かせても様になる、
きわめて可愛らしい古壺です。

時代的には飛鳥までは行かなくても、
平安時代(8世紀前半)ぐらいではないかと考えます。

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須恵器高杯

少し時代が遡って、今回は須恵器の高杯を紹介します。
と言うか、私が須恵器と思っている高杯を・・・


須恵器高杯
高さ=13㎝、外径=14.5㎝

縄文、弥生、古墳時代の比較的低い温度で焼かれた土器に対し、
飛鳥時代に入ると朝鮮からの新しい技術が導入され
須恵器が盛んに作られる様になりました。

これは燻焼(くすべやき)と言われ、還元焔焼成方式で焼かれたもので、
土の中の酸素を奪って焼成する為、器肌は黒っぽいものが多く
一見金属のように固い焼き物になって居ます。
(ものの本による。)

指先の爪で弾くと比較的高い音がします。

外観は、素朴な中に凛とした厳しさがあり、気品を保っています。
私はこの素朴さに惹かれます。

須恵器高杯(斜め上)

この器の用途は何だったのでしょうか?
神事や祭り事に使われたのか、お墓の埋蔵品だったのか?

高台には上下に其々4箇所づつ切欠き(透口)が、
足部(台脚)には2本の線(突帯と言うそうです)が設けられています。
これは朝鮮三国時代(新羅)の器によく見られるデザインで、
ある意味で典型的な形ものでは無いでしょうか。

35年前にソウルの韓国国立博物館で見た新羅、百済等の壺を思い出します。
因みに、一口で須恵器と言っても渡来品があると聞きいています。
でも、日本産か朝鮮産かの見分けはどうすればいいのでしょうかね?
これも私にとっては今後の勉強課題です。

須恵器高杯(拡大)

この写真の物は焼成時に被った灰により、
うっすらと自然釉がかかっています。

須恵器高杯(底)

裏から見た高台部分です。
本体とは別に轆轤で成形され後で継ぎ合わされています。

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写真集などで高杯に別の壺などを載せたものを見た記憶が有るので、
有り合わせの物を載せて見ましたが、
時代が違うものとの組み合わせではあまりマッチしませんね。

もっとも壺などの器を載せるものは、器台と言うそうで
高杯とは用途が違うのでしょうね。
(上の壺の考察は別途。)

この高杯が造られた時代は、須恵器の中期から後期に属するのではないかと
考えています。
平安時代後期から鎌倉時代前期と言う所ではないでしょうか。


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古伊万里色絵段重(その1) 果実(?)花卉文

可愛らしい古伊万里色絵の果実・花卉文三段重です。

色絵三段重
  外径=7.6㎝、高さ=10.2㎝

このサイズの段重は当初、白粉(おしろい)入れなどに使われていた様ですが、
現代では各自ライフスタイルに合わせて全く自由に使っています。

因みに、我が家では珍味、塩昆布、小梅干しなどを入れて食卓に出しています。

色絵3段重(違い柄)

文様の角度を120度ずらしてみました。どちらの向きも可愛いですね。

窓の中の文様は、柿やミカンなどの果実なのか、或いは花なのか、
駆け出しの私にはちょっと判りません。

赤地の部分に白抜きされた花文様は花卉(かき)と言う草花文の
一つで、中国の青花、特に景徳鎮などに使われていて、日本に伝わり
これを肥前・有田で良く使われる様になったと聞いています。

色絵3段重(蓋)


蓋や胴体の縁取り線と下の袴部の連弁文の藍色は素焼きされた生地の上に
呉須で絵付けされ、透明の釉薬を掛けて焼成されています。

赤、緑、茶などの色付けは、そのあと絵付けされてもう一度焼くのだそうです。

蓋の真ん中の銘は勉強不足で、何物か今のところ分かっていません。
(宿題です)

産地は肥前、年代は江戸時代後期と思います。


若竹煮と染付向付

朝堀りの、地元産筍が手に入ったので、
あく抜きをし、煮てみました。
何せ、筍の煮物は初経験だったので
手ほどきを受けながら・・・

タケノコと向付

蓋付の小判形向付を使い、
庭の”木の芽”と、
さっと煮た”鳴門の生ワカメ”を添えて出来上がりです。
ワカメのきれいな緑色が
上手く表現できなくて残念です。

小判型蓋付向付
縦=14.4㎝、横幅=10.5cm、高さ=5.2cm

この向付は10客揃いですが、食卓の場所をとる為、
最近は殆ど使っていません。
ただ、タケノコを見た途端これを思い出し、
探し出して使ってみました。

結構厚みがあり、大きな食卓では使い勝手はよいと思います。
横は見ての通りの波文様です。

小判型蓋付向付(蓋)

蓋には人物、山、家屋、岩,樹木が描かれ、太陽や鳥も描かれています。
何とものんびりとした、それでいて雄大な景色です。

生地の肌合いや呉須の色は伊万里とは異なっています。

小判形蓋付向付(底)

平安・松寿と銘が記されています。これは京焼の一つと思います。
一見新しいものに見えますが、時代的には幕末前後ではないかと
考えています。